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2005年07月02日(Sat)▲ページの先頭へ
虚像(メディア)の砦

真山 仁:角川書店

真山仁の作品には共通の特徴がある。
現実にあった事件のプロットを下敷きに借りつつ、独自の解釈を加えフィクションとして仕立て上げることだ。
今回の作品では、その前半でイラクでの邦人人質事件とその際の自己責任大合唱が素材としてとりあげられているが、どこまでがノンフィクションでどこまでがフィクションなのか判然とさせないのが著者の手法である。
ピカソは裸婦像を描くときヌードモデルをデッサンする。描きあげられた裸婦像はモデルの姿でもありモデルを離れたピカソの絵画である。
同じようなデフォルメが施された彼の作品を読むには高度なリテラシーが必要なのである。

著者はその前作において、朝日生命の経営危機、トーハトの破綻、日光金谷ホテルの再建などをモデルにしている。
これらのモデルが「知る人ぞ知る」事件であったのに対し、今回の事件は日本中の耳目を集め、いまだ記憶に鮮明な事件だ。
真山スタイルが社会からどう受け止められるのか、今回作がリトマス試験紙かもしれない。

さて、報道局の正義派ディレクター、お笑いで視聴率を稼ぐ敏腕プロデューサー、テレビ局を監督する総務省の女性キャリアを軸に、知られざるテレビ局の仕事を描くこの小説の後半部で、このテレビ局は粉飾決算が発覚し、地検の強制捜査を受けるなどの激震に見舞われる。
その対応のプロセスから、現在のテレビ局が抱える経営の脆弱さ、総務省監督下の護送船団体制の実態、政治との緊張関係の裏側に厳然と存在している凭れあい関係の実像が明らかになってくる。

地上波テレビは長くマスメディアの首位の座を保ってきた。
その上にテレビメディアは栄耀栄華を誇ってきた。
しかし、その繁栄の時代は終わろうとしている。
若者のテレビ離れの傾向は顕著であり、
インターネットの成長はテレビの接触時間の減少を招き、
HDDレコーダによるCMをスキップする視聴形態の一般化は収入の基盤である広告の効果に疑問を生じさせ、
BSデジタルやCATVのチャンネルの増加は、視聴率の分散につながり、
地上波テレビの圧倒的影響力を減殺させている。

20世紀後半。私たちは、マスプロダクション、マスセールスなどさまざまな「マスの終焉」を目撃した。
T型フォードの大量生産にはじまった20世紀は、まさに「マス」が繁栄を誇り、経済成長をリードし、やがてそれが多品種少量生産に移行することで「マス」が効果をうしなっていった世紀だったのだ。大衆は姿を消し、少衆・分衆が現れてきたのだ。
そして、唯一21世紀初頭まで生き延びてきた「マス」が「マスコミ」である。
その王者であるテレビが今、「マス」を捉えきれなくなっている。

そんな時に、地上波テレビのデジタル化の波が襲い掛かろうとしている。
2011年以降、各家庭にあるアナログテレビは見られなくなる。地上波テレビがデジタル放送に完全移行するからだ。
これに要するテレビ局の放送設備更新の費用は半端ではない。
地方局の中ではこの負担に耐えれない放送局が続出するのではないかとささやかれ、地方局の倒産や合併、支援を迫られるであろうキー局の財政の悪化の想定される。
孫正義、堀江隆文による、2度のIT企業の放送局買収はいずれも失敗したが、3度目の正直は決してありえないことではない。

この小説に見られるような経営陣の醜態を、もしかすると5年を経ずして私たちは眼前にするのかもしれない。



2005年03月09日(Wed)▲ページの先頭へ
カンボジア号幻影

恵原 義之:新風舎文庫

畏友・恵原義之くんが、50代半ばをすぎてのインド駐在のつれづれに、若き学生時代のアジア放浪の旅をつづったもの。
彼がこんなに文章が巧みだとは思っても見なかった。旅のさなかに書き綴ったメモを傍らに置いての執筆だろう、人名や地名など正確な固有名詞をおさえつつ、69年当時の学生バックパッカーの旅をリアルに描いている。
表題の「カンボジア号幻影」と「南アジア遊行1969」の2作が収められているが、圧倒的に前者がいい。後者は紀行文の範疇を出ないが、前者は立派に文学に昇華している。

61年に小田実が「何でも見てやろう」を出版し、社会的注目を集めた。
64年、東京オリンピックを契機に日本人の海外旅行が自由化された。
これと前後し、テレビでは毎日放送がハワイ旅行を賞品としたアップダウンクイズの放送を開始、サントリー(当時の社名は寿屋)が「トリスを飲んでハワイに行こう!」のキャンペーンを始めた。
オリンピックで東京に外人観光客が多く訪れたこともあり、団塊の世代の若者の間では海外旅行が、夢や憧れから具体的な目標へと姿を変えた。
大阪外語の学生であった著者もまた、その熱気に煽られ、神戸からフランスのMMの客船カンボジア号の3等船客としてアジアの放浪に旅立ったのだ。

今でもバンコックのカオサン通りには当時の旅のスタイルが命脈を保っている。
行く先々で安宿に泊まると、同じような貧乏旅行者がたむろしている。そこで友好を温め旅行情報を交換し気ままに次の町に旅立っていく。気が合えば一緒に旅をしやがて別れ、運がよければ暫くして別の町で思わぬ再会を遂げる。
そんな日々が今日も続くし、明日もまた続くのだろう。
ベトナム戦争は続いていた。日本からだけでなく、アメリカからもヒッピーと呼ばれる若者たちが、「一日10ドルで暮らす海外旅行」というベストセラーを片手に海外に流れ出ていた。ヨーロッパからの若者も多かった。
時に興奮に、時にけだるさに彩られた自由がそこにはあった。

私事になるが、ぼくは著者の旅の翌年にヨーロッパを放浪した後、アジアのいくつかの都市を飛び石伝いに帰国した。
著者も立ち寄ったニューデリーのコンノートサーカスのインディアンコーヒーハウスは懐かしい。
ぼくも、YMCAに滞在しつつ、このインディアンコーヒーハウスで3日を過ごしたのだ。
YMCAは、ぼくらのような貧乏旅行者には不釣合いに高級だったが、旅の終わりも近く、体調の都合で冷房なしでは耐えられないと思ったぼくは、清水の舞台から飛び降りるつもりでここに宿を定めたのだった。
そんな思い出が次から次によみがえってくる。

今考えても、学生時代の海外放浪は、ぼくの人生でも特別な時間だった。
金は全くなかったにもかかわらず、黄金のような豊かな時間だった。
夢を持っていた。好奇心はフル回転だった。多くの気のいい友達と出会いそして別れた。
もう一生あんな旅は出来ないのだろうか?
定年後、もういちどあんな気ままな旅をしてみたい。

著者はぼくより一足さきに今年定年を迎えるはずだ。
恵原くん。シルバーにふさわしい満ち足りた豊かな旅のあり方を模索し、そのノウハウを伝えてくれたまえ。



2005年03月07日(Mon)▲ページの先頭へ
ローマ人の物語12巻「迷走する帝国」

塩野七生:新潮社

塩野七生の著作は、比較的時間の取れる時期に読むことにしている。彼女の世界に耽溺したいからだ。
この一年多忙続きで読みたい読みたいと思いつつ、仕事が多忙だったためページをめくらずにきた。
昨年10月にカウアイ島にいったときも読破するチャンスと思い、わざわざハワイまで持参したものの、一行も読まずに帰ってきた。

13巻「最後の努力」が発刊されたことに追い立てられ、多忙な時期でもあったが読み始めた。
これも名著だ!
草創期のみずみずしさを描いた巻、カエサルの機智と成熟をつづった巻にならび、カラカラから始まり軍人皇帝の時代をとりあげたこの巻は、衰亡期の哀しみともどかしさを描き、シリーズの中でも特筆すべき面白さだ。

全く触れたことのない歴史を、あるときは乾いた視点で鳥瞰的に語り、またあるときは心理の襞を熱っぽく描いてみせる塩野流の語り口が存分に生きている。
大廈の倒れるところ一木の支えるところに非ずという真理は、今日の日本の政情を思い起こさせずにはおかない。

この巻で面白いのは最後に一章を設け、ローマ帝国におけるキリスト教伸張の理由について、塩野七生の見解を付け加えていることである。
もしかすると、塩野がライフワークとしてこの大作に挑んでいる理由のひとつは、これを書きたかったことにもあるかもしれない。




2005年01月08日(Sat)▲ページの先頭へ
自分探偵社

橘川幸夫:オンブック

橘川幸夫さん。04年にはやきそばパンの逆襲
風のアジテーション、そして本書と小説をたてつづけに3作出版。
いやはや、すっかり小説家モードに転換しちゃいましたね。

とはいえ、小説の世界に収まりきれないのが橘川さん。
なんと、自分で出版社をつくってしまいました。
その出版社「オンブック」の第一号出版物がこの「自分探偵社」。
いかにも橘川さんらしく、この出版社の特色はオンデマンド出版。
データだけを保存しておき、注文があるとプリント・製本して配達するという仕組みだ。
在庫を持たないですむので、リスクをミニマイズできる。
そのかわり店頭の平台に並べるとか、アマゾンなどオンライン書店の検索にはひっかからない。
橘川さんのことだ、いずれどこかの取次ぎを通じ、有力書店の店頭に並べるルートを開拓するのだろう。

さて、「自分探偵社」。
アイデンティティの模索に悩む人に、自分自身に関する周囲からの評判調査をサービスするベンチャー企業を立ち上げようとする2人の若者を主人公とした物語だ。
前2作の続編にあたる。

自分探偵社のコンセプトに行き着くまでに、主人公たちはさまざまなアイディアを出すが、さすがにこのあたりは橘川幸夫の才気を感じさせるに充分だ。
だいたいにおいて橘川小説は、ストーリーの中に橘川さんの日ごろからの持論をもぐりこませ、自在に展開させるところに魅力がある。
ただ、今回の小説ではちょっと持論の盛り込み方が少ないかなと思う。
後半でご本人が登場し、「横型ヒエラルキー論」を展開していますけどね。




2005年01月06日(Thu)▲ページの先頭へ
連鎖破綻―ダブルギアリング

香住究:ダイアモンド社


日産生命
1997(平成9)年4月25日
あおば生命に移転

東邦生命
1999(平成11)年6月4日
GEエジソン生命に移転

第百生命
2000(平成12)年5月31日
マニュライフ・センチュリー生命
(現 マニュライフ生命)に移転

大正生命
2000(平成12)年8月28日
あざみ生命(現 大和生命)に移転

千代田生命
2000(平成12)年10月9日
AIGスター生命に組織変更

協栄生命
2000(平成12)年10月20日
ジブラルタ生命に組織変更

東京生命
2001(平成13)年3月23日
T&Dフィナンシャル生命に社名変更

第一火災海上
2000(平成12)年5月1日
損害保険契約者保護機構に移転

大成火災海上
2001(平成13)年11月22日
損害保険ジャパンと合併


銀行ほど目立たないけど、中堅生保会社が次々に破綻しました。
大手・準大手で破綻しても不思議でないのに生き延びている生保会社が複数あります。
なぜ潰れないのでしょう。
この本を読むとその裏側が良くわかります。
大手生保は銀行と株の持合を大量にしており、破綻に追い込まれるとメガバンクですら連鎖破綻しかねないのですね。

この小説には、誰もが容易に想起できるモデル生保があります。
・株の持合をしている銀行グループの名称
・大手損保と経営統合を一度は発表し、その後撤回したという事実
・その大手損保が排除しようとした実力会長の存在
・起死回生で発売し、そこそこの成功を収めた保険商品の名称
その他、随所にちりばめられた現実と符合するディテールが、そのことを証明しています。

とはいえ、現実では新聞社会面をにぎわした、営業担当専務の壮絶な割腹自殺に触れていなかったり、結末を破綻後のアメリカの大手生保による再生(これって協栄生命のスキームだよね)においているところを見ると、必ずしも内幕ものの暴露小説を意図していないことがわかります。
また、芥川賞狙いで人間の哀しみを描こうというには、あまりに現実の生々しさの方に焦点が当たりすぎていると思われます。
おそらく、作者は生命保険業界の異常さとその中での生き延びるための空しさの残る営みを描きたかったのでしょう。
「人間を描く」というより「組織を描く」ことに注力したのではないでしょうか。
小説という表現形態の新たな可能性への挑戦かもしれません。

事実、この小説の作者香住究とは、元大手生命保険会社課長と元大手新聞記者との合作によるものです。
普段、一般の眼に触れない生保の実情がリアルに描かれているのも当然といえるでしょう。




2004年12月29日(Wed)▲ページの先頭へ
ハゲタカ(上・下)

真山仁:ダイヤモンド社

福田光洋氏から送っていただいたので、早速通読した。

「ハゲタカ」と呼ばれる投資ファンドは、不良債権を2束3文で買い取り、回収や転売で利益をあげ、時に企業再生をリードする。
この小説は、外資系投資ファンドのクールな日本人マネージャーを軸に、不良債権をバルクで売り払う役回りを与えられた都市銀行の良心派担当者、家業であるホテル経営を負債ごと受け継ぐ若き女性後継者を配し、不良債権処理にまつわる熾烈な駆け引きを描いている。

城山三郎が直木賞受賞作「総会屋錦城」により経済小説のジャンルを切り拓いたのが1958年。
「銀行よさようなら、証券よこんにちわ」と喧伝された空前の証券ブーム到来前夜にあっては、企業社会の矛盾を描くのに、総会屋は時代の先端を感じさせる格好の素材だったのだろう。
作者の真山仁は、城山の総会屋に代わる今日的な主人公として「ハゲタカファンド」を登場させたのだ。
新生銀行を買い取ったリップルウッド、暴君ハバネロで東ハトを甦らせたユニゾンキャピタル、そして三菱自動車再生にはフェニックスキャピタルが取り組んでいる。
このように投資ファンドの動きは急だが、その実情はほとんど紹介されることがない。
読売新聞の記者であった著者は、当時の取材経験から積み重ねた該博な知識を投入し、そのビジネスの実情を描いてみせる。
そのリアリティこそがこの小説の真骨頂といえるだろう。

新生銀行の八城政基社長と東ハトの木曽健一社長には、就任直後にそれぞれのビジネスモデルについてヒアリングする機会に恵まれた。
70代の八城社長と30台半ばの木曽社長。親子以上に年齢の開きがある2人だが、不思議なほど共通点がある。
1)自ら現場に出ることを厭わない。
2)常識にとらわれず柔軟な発想ができる。
3)行動に移すことをためらわない。
4)何よりスピードを重んじる。

新生銀行の瑕疵担保条項に代表されるように、投資ファンドが有利な条件で、しかも捨て値同然で債権を手に入れたことは事実だが、企業再生の成功のためには日本的あいまいさを捨てた経営が必要なのだ。
日本の経営者も少しはハゲタカを見習うべきかもしれない。
単なるピカレスクロマンに終わらず、そんな感想を抱かせるだけの実質をこの小説は内包している。

「本書は、フィクションである。登場する企業、団体、人物は全て架空である。」
本書の冒頭にはこんな但し書きが添えられている。
確かにそうだろう。しかし、この小説で取り上げられるさまざまなエピソードは、容易にそのモデルを推測することができる。そんな点もこの小説のページを開く楽しみといえよう。

城山に続く、梶山季之、清水一行、高杉良、江波戸哲夫、幸田真音などの経済小説の系譜を受け継いだ、新しい才能の登場を喜びたい。




2004年09月05日(Sun)▲ページの先頭へ
風のアジテーション

橘川幸夫:角川書店


畏友、橘川幸夫氏の新作。
69年ごろの東京の街へのオマージュだ。
さまざまなサブカルチャーが乱れ咲いた、幸せな時代だった。

オリンピックを境に昔の東京が失われたといわれるものの、江戸の名残はそこここに残り、大震災の後花開いた庶民文化の猥雑さと、戦後の闇雲なアナーキーさと、高度経済成長がもたらした光と影と、学生だった団塊世代のアイデンティティ模索と世間への異議申し立てとが、重層的に重なり、ないまぜとなり存在していた。
豊かさと貧しさの共存がサブカルチャーを生み出し、若者の憧れと絶望とを彩っていた時代だ。
そんな、時代のディテールが具体的に書き込まれている。

あとがきで著者は「69年が舞台ですが、僕が読んで欲しいと思っているのは、69年にはまだ生れていなかった若い人たちです。」と書いている。
申し訳ない、ぼくはあなたの1歳上です。
だからどうしても「新鮮モード」ではなく、「懐古モード」で読んでしまう。
そして、著者は驚くべき記憶力で、懐古のタネを提供してくれる。
著者の繰り出す人名や店名、商品名は、セピア色の思い出を魔法のように蘇らせてくれるのだ。
著者の地元は、私の地元から国電で2駅。立ち回り先もかなり似通っているということもそれを助けているだろう。
読むにつれ、中島みゆきの「時代」のメロディーが通奏低音として頭の中に響いてきた。

肉体系剛直派として青春を送った椎名誠の半自伝小説と対比すると、「現代の畸人」橘川幸夫のこの本は、文化系軟弱派の面目躍如というべき自伝的青春小説だ。


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